高知県知事時代

  • 産振計画⑦~さらなる飛躍願い~
  • 番外編

各論(林業編 下)

 知事として、数知れぬほど様々な式典で挨拶を行なってきたが、そうした中で、時々、感極まって涙が出そうになる時があった。そして、それを何とかごまかす術も身につけてきたつもりだ。
 しかし、2013年3月のおおとよ製材の落成式典での挨拶の際は、涙声を隠しきることができなかった。高知の林業にとって、加工工程の強化は大きな課題であり、おおとよ製材の設立は、林業振興、ひいては、中山間振興全体に関わる極めて重要なポイントだったからだ。

《宙を舞う!》

 就任してまもない頃、私は、当時の臼井林業振興部長と共に、岡山県の真庭市を訪れた。部長曰く、最も先進的な木材加工を行っている会社であり、何とか高知に誘致したい、とのことであった。実際、現地を訪問して私は目を見張った。木材が、ライン上を極めて高速で加工され、その様はまるで宙を舞うようであった。しかも、木材ごとに、最も効果的な切り取り方が瞬時に選択されているという。また、端材やおがくずなども全て無駄なく燃料として活かされていた。
 私の中で、製材の概念は全く変わった。そして、本県林業の課題を克服するためにも、この優れた加工体制を高知で実現したいと強く願った。それ以来、折に触れて、同社、銘建工業中島社長とお会いして高知進出をお願いし続けたのだ。言うまでもなく、同社の持つ潤沢な販路も大きな魅力であった。
 何度もお会いしてお願いするうちに、徐々に環境も整い、11年9月、同社の進出が決まった。中山間振興全般に関わる突破口がついに開けたと、落成式典の際は、思わず涙が溢れてしまったのである。
 それ以来、加工量の拡大に併せて、本県の木材伐採量も上昇に転じ、先述の40万㎥から近年は60万㎥半ばまで拡大することとなった。それだけ山の仕事が増えたということだ。

《道半ば》

 だが、その後も、引き続き、多くの重要な課題が残り続けた。
 本県にも優れた技術を持つ加工工場は多い。だが、厳しい客観情勢によりその経営は苦しく、その対策は急務であった。規模に応じて、小規模なら高付加価値品の加工を、より大きければより汎用的な製品の加工を、更には、CLTの普及を睨んでその原材料の加工も、と其々に展開を図ろうとしたのだ。高い輸送コストをどうするかという問題も残る。おおとよ製材の設立が成った後、在任中にこれらの点に力を注いだが、まだまだ道半ばだ。
 更には、人手不足が深刻化するに伴って、川上の伐採工程の生産性向上も大きなテーマとなった。
 そもそも、本県は急峻な山が多く施業は大変だ。中国地方を移動する際には、よく山のなだらかなのを羨ましく思ったものだ。更には、災害によって林道が被災し、施業が不可能となることもしばしば。そもそも、林道の路網密度が他県に比べて低いという根本的な課題もある。十分な林道予算を確保できず、未だに多くの不満の声を頂いているし、災害はますます厳しさを増している。
 生産性向上のためにまずできることとして、森林組合の皆様と協働して、トヨタ生産方式よろしく、秒単位で施業の効率化ができるポイントを探る取り組みなどを積み重ねた。山の資源分布をデジタル技術によって見える化する試みも始まっている。今後は、林道の着実な整備に加えて、川下の需要に合わせたサプライチェーンマネージメントの一層の向上といったことも、課題となろう。
 そして、このコロナ禍である。今後も継続的に取り組み続けなければならない課題は多数ある。

《人材こそが》

 ある産業を栄えさせようとするならば、その分野の人材育成を図ることが、遠回りのようで近道だ。
 「林業の振興なくして中山間の振興なし。中山間の振興なくして県勢浮揚なし。」在任中繰り返し述べたように、林業の盛衰は、本県の中山間、ひいては県勢浮揚の要を握る。他方で課題が大きいからこそ、全てを克服する最も効果的な途として、林業分野の人材育成強化が急務かつ重要だと考えたのだ。
 このため、林業人材を育成する教育機関の設立にチャレンジすることとなった。単に施業の技術を教えるだけでなく、森林経営や加工工程、販路拡大も含め、林業全般を総合的に学べる教育機関を目指したのだ。
 この林業大学校設立にあたってこだわったのは、教授陣だ。全国の一流の教授陣によって、全国一流の林業家の卵を養成することを目指した。決して、高知のみに止まるのではなく、むしろ、全国の一流の林業関係者のプラットフォームとなることを志したのだ。
 林業振興のための全国一流のプラットフォームたらん!この意気込みを端的に宣明するためにも、校長先生が重要であった。このため、木造建築でも世界的に著名な隈研吾先生に是非お願いしたいと考えた。
 かなり無理筋かなとも思ったが、檮原町の矢野町長(当時)に仲介役となっていただいて必死にお願いをした。先生が木造建築に目覚められたのが檮原町であったことに賭けたのだ。了解をいただいたと担当課長から聞いた時は、うれしさの余り、矢野町長に息咳切って御礼のお電話をしたものだ。改めて、隈先生、そして矢野町長に、深く深く感謝申し上げなくてはならない。
 欧米では、森林経緯に携わるフォレスターの社会的地位は極めて高いと聞く。森林大国である日本でもそうあるべきだと私は心から思う。林業全体を体系的に学んだ人材が中山間で活躍し、田舎の持てるものを生かし切る!そうあってこそ、地方の振興が成し遂げられるはずなのだ。

(各論 水産へ続く)