高知県知事時代

  • 産振計画⑦~さらなる飛躍願い~
  • 番外編

各論(商工業編 上)

 高知県の製造品出荷額は長年全国最下位クラスだ。不利な立地が影響しているのは間違い無いが、戦後、国策の大きな流れから外れてしまったことも大きいだろう。戦後の国の看板政策である「太平洋ベルト地帯構想」からも「新産業都市構想」からも、高知県は完全に対象から外れた。結果として、他県では当たり前の大規模コンビナートはなく、臨海型工業団地の規模も他県に比して随分小さい。ただ、それはそれで、現在は、コンビナートの無い海の良さを生かして、一次産業振興や観光振興に取り組んでいるのだが。
 しかし、規模は小さくとも、高知には全国トップクラスのきらりと光る技術を持つ製造業が数々ある。伝統ある農林業用工具由来の技術に、斬新な発想と先端技術を組み合わせて、日本有数のシェアを誇る企業もいくつかある。
 産業振興計画では、製造業の中でも、食品加工業への支援からスタートした。本県が比較優位を持つ一次産業との相乗効果を狙ったものだ。その他の製造業に関連する施策を本格化させたのは第2期計画からである。
 県として、工業技術センターによる技術支援や工業団地の整備、企業誘致といった従来からの振興策に加えて、新たに何ができるか模索したのだが、そもそも、OEMや下請けなど、独自の固定ルートを持たれている場合も多く、新たな挑戦をどう行うかは試行錯誤が続いた。
 因みに、工業団地については、財政難のあおりを受けて数年来整備が停止されていた時期がある。近年になって、津波対策のための移転用地としてのニーズも高まったことから、その整備を加速させている最中だ。

《ゆりかごを》

 結果として、取り組みの柱は3つとなった。
 第一は「ものづくりの地産地消」を進めようという取り組みだ。県内事業者の具体的な事業ニーズとそれを満たし得る事業者とのマッチングを行うことにより、出来る限り県内事業者間での新たな取引を促そうと考えたのだ。2011年6月には「ものづくり地産地消センター」を立ち上げ、この取り組みをスタートさせた。この取り組みを通じて80件超のプロジェクトが立ち上がっている。
 更に、センターの開設に先立ち、「課題解決型産業創出」の取り組みもスタートさせた。当初は、県庁職員と専門家によって農業や水産分野などの課題を抽出して、その課題を解決する事業者を募集するというものであった。後に、県内事業者に未解決の課題を提起してもらい、その解決策を提示できる事業者を募り、その事業化を応援するという事業に発展させた。また、3期目には、IT コンテンツ産業振興の取り組みとも連動させて、デジタル技術を活用した課題解決・事業創出の取り組みも付け加えた。
 これらは、県として、オープン・イノベーションを促す場を設けて、新たな事業の創出を図ろうとするものだ。
 正直なところ、これらは行政の施策としてはかなり野心的な取り組みであり、まだまだ道半ばでもある。養殖自動給餌システムや農産物出荷予測システムなど既に完成し本格的な事業化へと歩み出した商品もある。更に、現在進行形のプロジェクトも17件あるが、本格的な事業展開につながるにはまだまだ時間がかかるだろう。
 だが、新たな事業を生み出す「ゆりかご」となり得るプラットフォームを、官民共同であえて設ける意義は大きい。退任して1年、この取り組みがIT協会(公益社団法人企業情報化協会)のIT最優秀賞(社会課題解決領域)を受賞したことを報道で知った。「ゆりかご」への期待は大きいのだと改めて感じたところだ。
 新たな事業創出が簡単にできる訳はない。ニーズとシーズのより効果的なマッチング方法の検討や、規模拡大に向けた支援策の充実など、様々な政策的改善が求められるのであろう。
 時間はかかろうとも、失敗はあろうとも、新たな事業創出を目指して、官民協働で挑戦し続けていく必要がある。新陳代謝は経済発展にとって不可欠なものだからだ。

《地産外商》

 第二は「ものづくりの地産外商」の取り組みだ。食品加工分野の地産外商で獲得したノウハウを生かして、ものづくり分野でも県内事業者の県外販路開拓支援策を展開していった。下請け、OEMに並ぶ、独自の新たな事業展開をお手伝いできればとの思いであった。
 14年4月には、「ものづくり地産地消センター」を「ものづくり地産地消・外商センター」に拡張するとともに、東京の浜松町に同センターの東京事務所を設けて外商拠点とした。
 同センターを中心として、全国的な大規模商談会の場で高知県ブースを設け、事業者の商談機会を創出、併せて、後追い営業をバックアップするなどした。更には、センター職員がより前面に立つケースも多々あった。
 幸いにして、こちらは一定の成果につながった。ものづくり地産地消・外商センターの仲介によって得た契約金額は、12年の2.5億円から、19年には77.2億円まで拡大した。外商センターでは、商社出身のノウハウ豊富なスタッフを多数雇用したが、その活躍は掛け値なしに素晴らしかった。そして、何より、事業者の皆様の、独自の技術と商品力が認められた結果だ。
 更に、ものづくりの地産外商分野でひとつの柱を据えたことも有効であったろう。新たに打ち立てた柱、即ち、防災関連産業の育成である。

(各論 商工業編 中 へ続く)