高知県知事時代

  • 産振計画②~地産外商へ大転換~
  • 番外編

企業誘致も

 繰り返すが、産業振興計画では、企業誘致から地産外商へと重点を移した。多くの自治体がその振興策の柱に据える企業誘致だが、残念ながら私の見るところ、高知は他県に比べて有利とは言い難い。故に、この企業誘致の分野でも、高知ならではのやり方を模索する必要があったのである。

《あっという間に》

 私の妻は栃木県南部の大穀倉地帯の出身だ。15年ほど前だったか、妻の実家に帰省した際に、大規模な工業団地が建設されていることを知った。どんどんアジアに企業移転が進んでいるのに時代遅れな、と思ったのだが、数年後に訪れて、正直びっくりした。あっという間に団地が工場で埋まっていたからだ。それどころか近隣には大規模なアウトレットまでできていた。
 事情を知って私は深く納得した。高速道路の新線ができ、栃木と東京とのアクセスが劇的に改善していたのだ。都心まで1時間でたどり着くのだという。
 まだ、高知の知事になるとは露とも思わないころだったが、それでも私は心底羨ましいことだと思った。こうした恵まれた田舎もあるのだな、と。
 企業誘致にはリスクもある。企業側の事情で一方的に撤退されてしまうことだ。在任中も2度ほど大型の撤退事案があったが、様々な引き留め工作を当方からすれば法外な優遇策も示してお願いしたものの、企業の論理の前には全く歯が立たなかった。民間の経済原理からすれば当然なのだろう。むしろ、一定の撤退があり得ることを前提に、多種多様な企業誘致を行う必要がある。
 「大都会まで1時間の田舎」といった恵まれた条件を持ち、この多種多様な誘致が可能な地域であれば、私も徹底した企業誘致中心主義でいく。だが高知は、交通の要衝や幹線ルートから外れていることに加え、津波想定34㍍に代表される災害リスクもあり、そうはいかない。
 実際、在任中、名古屋や大阪で何度も企業誘致セミナーを行ない、本県独自の優遇策をPRしたが、これを通じて実際の誘致につながった案件はほんの少しだった。「津波がねぇ〜」と何度言われたことか。工業団地を作り、優遇策をテコに誘致を図る、といった普通のやり方では苦戦を免れなかったのだ。

《プロジェクトの誘致を》

 このため、企業誘致に関しても、本県独特のやり方を模索する必要があった。
 その第一は、クラスター形成の一部をなすように誘致を仕掛けることであった。次世代型ハウスや大規模養殖事業など、1次産業に関わる比較的大規模なプロジェクトを中心に、その前工程、後工程、関連産業群を一箇所にまとめる「クラスタープロジェクト」を、県内で、現在20ヶ所程度展開している。
 その一環として、四万十町の大規模園芸ハウスでは種苗の生産会社などが、また、大月町、宿毛の養殖事業に関連して最新鋭の水産加工場の誘致が実現した。
 林業分野では、ボトルネックとなっていた加工部門を強化するために、大型製材工場の誘致が一貫した目標となった。豊富な木材資源が武器となって、前後の工程の中間に位置する企業の誘致が実現したのである。
 第二の方法は、そもそも地理的なハンディなどない分野の企業誘致である。コールセンター誘致は有望な分野であったし、IT、コンテンツ関連産業の振興策では、企業誘致そのものが戦略の柱となった。
 人材の有無がこの分野の誘致の鍵となる。本県は、クリエィティブな人材は多いが、IT系の学びの機会は都会に比して少ない。このため、県が「IT・コンテンツアカデミー」という学びの場を設立し、人材育成・確保の機会の充実ぶりをアピールして誘致に臨んだのだ。誘致企業のニーズに基づいてカスタマイズしたプログラムを設けることまでした。
 結果として、この分野の企業誘致はうまくいった。IT・コンテンツ関連では、任期の終盤を中心に20社以上の立地が実現し、240人近くの雇用を生み出すことができた。    
 今後は、デジタル技術による地場産業の高度化が求められる時代だ。これらの誘致企業への期待感は大変大きい。また、アフターコロナの時代のリモートワークの受け皿として、更なる誘致も期待できよう。
 第三の方法は、いわゆるオープン・イノベーション・プラットフォームを作り出し、そこに参加企業を募っていくというやり方だ。
 例えば、農業分野で仕掛けたNext次世代型ハウスの開発プロジェクトでは、現在40を超える企業の参加を得ている。
 結果として、企業立地に繋がれば良し、そうでなくとも、地元企業との提携などといった形で企業活力の導入や人的ネットワークの形成が期待される。
 高知は課題先進県だ。解決すべき課題が多いということは、すなわち、事業の種が多いということでもある。課題に応じたプラットフォームを作り、参加企業を募る。これは、田舎だからこその可能性をもつやり方だ。
 条件不利地の中の不利地として企業誘致には苦労したのだが、この分野でもまた、高知ならではのやり方を追求したのである。

第六回「産振計画③ 〜中山間を生かす道〜」へ続く)