高知県知事時代

  • 県政スタート ~天にも通じるまで~
  • 番外編

創造か破壊か

 首長の任期は4年間。首長となった限りは、誰でも、自分なりのテーマを掲げて、その限られた期間内に一定の成果をあげることを目指す。そして、全国の自治体でよく取り上げられるテーマが「行政改革と財政再建」だ。
 厳しい財政状況の中で、多くの自治体が抱える課題であろう。また、旧弊に立ち向かって戦うイメージもあり、また、結果が分かりやすくもあり、と人気のテーマだが、私は、二つの点で要注意だと思ってきた。
 私は「行政改革と財政再建」の権化のような財務省の出身。だからこそ、その副作用も良く知っているつもりだ。
 第一は、単なる「破壊」で終わる危険だ。「行政改革と財政再建」は、往々にして、仕事を止めることで成し遂げられる。注意しなければならないのは、止めるだけではすまない場合だ。これに対する答えがなくては、単なる責任放棄となりかねない。
 第二は、職員が仕事を止めることに慣れてしまうことだ。「行革と財政再建」が始まったばかりの頃には、職員たちは自分の仕事を奪われると抵抗するだろう。権限獲得を手柄と捉える公務員文化の中では、出世に関わると考える職員もいるはずだ。
 だが、仕事が減っても役所が倒産する訳でもなく、給料も変わらない。そして、時が経つとともに、「行政改革と財政再建」が仕事をしない免罪符となることに気付く。どのような要望にも「財政再建中なので難しい」と答えれば許される、という空気が蔓延すれば、その行政はもはや民意から決定的に離れてしまう。

《どちらの道か》

 行政には二つの選択肢がある。破壊系か創造系かの二つである。
 「行政改革、財政再建」などの破壊系は派手で成果を得やすい。要は仕事を止めれば良いのだから、目標もやり方も明白だし、必ず成し遂げられるものでもある。だが、既得権者の激しい抵抗と戦う必要がある場合や、代替案を見つけ難い場合には大変だ。そして、先に述べた二つの副作用には大いに注意を要する。
 他方で、創造系の場合は、「地方創生」などが典型なように、往々にして地道な努力の積み重ねを必要とし、結果を出すのに時間がかかる上に地味だ。定めるべき目標もやり方も、頭をひねって考え出さなくてはならないし、考えついたとしても、それを成し遂げられるか分からない。
 程度の問題ではあるが、どちらに重きを置くかは、言うまでもなく、その行政を取り巻く時々の状況によって異なるだろう。
 民間経済に力があり、肥大した官が邪魔になっているような場合には、破壊系を主とすることになろう。官の領域を縮小し、併せて、税金など公的負担を軽減し、という方向性だ。
 だが、衰退した地方をなんとかすることが求められているのなら、政治は創造系の役目を果たすべきだ。旧弊は取り除かなくてはならないだろうが、その上で、地域が栄えるための何かを考えだし、そして、それを実行していかなければならない。
 

《危機感ゆえに》

 当時の高知の民意が求めたのは明らかに後者だ。私も、選挙戦を通じて「県勢浮揚」という創造系の公約を掲げた。
 しかし、当時の県庁は、三位一体改革の余波を受け、長らく破壊系の「行政改革と財政再建」をメインテーマとしていた。そして、残念ながら二つの副作用に犯され始めてもいた。
 根本的な問題はここにあった。県政のベクトルを大きく転換すべき時期だったのだ。そして、この就任当初の大仕事を果たそうと、十河さんが庁内を抑えてくれることを良いことに、「いられ」全開で大暴れしたのだ。改めて「怒ってばかり」の失礼をお詫びしなくてはならないが。
 正直に告白すれば、当時、破壊系から創造系への路線転換に成算があった訳ではない。当時の私も創造系の行政を展開することの難しさは、よくよく承知していた。できないかも知れない目標を掲げるよりも、「県勢浮揚のために、まずは無駄の削減を!」と、必ず何かは達成できる行革系の目標を掲げるという道もあり得た。 
 しかし、知事選前後に多くの県民に接して、それは無理だと思った。そして、度胸一発でこの路線を決めた。政治の原動力たる民意の危機感。私もまたこれに突き動かされたのだ。

第四回「産振計画① 〜職員の認識変える〜」へ続く)