高知県知事時代

  • 産振計画⑤~二つの良き成功例~
  • 番外編

勝負の年の勝負!

 在任中、防災訓練では、よく負傷者役の方を乗せてリアカーを押した。一番力が必要なのは最初にリアカーを動かし始める時だ。ふらつきを抑え、ゼロから前に進み始めねばならない。産業政策も同じだ。政策を立ち上げ、動かし始める時が一番大変なのだ。
 産業振興計画の立案作業に没頭したのは就任翌年の2008年。そもそも県庁に何ができるか、からのスタートであり、立案作業は難渋した。
 こうした中、同年6月5日、「龍馬伝」という朗報が飛び込んできたのだ。秘書課長からの知らせに、知事室で飛び上がったことを覚えている。
 嬉しかったのは、単に大河が高知に来たからだけではない。産業振興なんて無理との空気が支配的な中で、「龍馬伝」対応をスタート時の目玉に据えれば、県民全体が「できるかも」と前向きな気持ちになるはずだと思えたからこそ、嬉しかったのだ。そして、何より私自身、大逆風の中で大仕事のスタートを切らねばならないことに正直不安で一杯だったからこそ、嬉しかったのだ。
 この後、9月にはリーマンショックも発生。ただでさえ厳しい高知の経済には最悪の空気が漂った。翌年には、有効求人倍率も0.39まで低下。「こんな状況で産業振興なんて打ち出して大丈夫?」と記者に心配して貰ったくらいだ。だが「龍馬伝」という切り札があればこそ、前に進み続けることができたのである。

《どうせ大河は》

 覚えておられる方も多いと思うが、当初は悲観論もかなりあった。一番多かったのは、数年前の大河「功名が辻」の際には観光客は殆ど増えなかった、というものだ。中には、主演は長崎出身の福山さんだし、亀山社中時代中心の長崎のドラマになるらしい、という根拠のない観測まであった。
 「功名が辻」は初代土佐藩主の立身出世物語であるにも関わらず、その年の観光入込客数は316万人。前年は310万人程度であり、わずか数%程度の伸びにとどまっていた。更に、大河の年は増えても翌年同じだけの反動減があり、トータルでは効果が殆ど無い例も県外では多い、との指摘もあった。
 「大河はほとんど効果を生まなかった」との前例は正直プレッシャーとなった。チャンスを生かせなかった失敗を二度と繰り返してはならない。観光業界の皆さんの助けも借りて、職員とともに必死で作戦を練ったのだ。
 作戦の第一は、大河に沿った魅力的な観光地作りであった。「投資なくしてリターンなし」との考えで、前回を大幅に上回る予算を投入することとした。
 高知駅前にそれなりの規模のメインパビリオンを設置したし、安芸、梼原、土佐清水には、中岡慎太郎、岩崎弥太郎、脱藩の道、ジョン万次郎ゆかりの施設を設けた。ゆかりの地を複数紹介することで全体としての魅力を増したいという思いであったし、合わせて「幕末観光は高知市限り」という前例を打ち破り、県内各地への周遊を促したいとの思いでもあった。その上で、全体を観光キャンペーン「土佐龍馬であい博」と銘打ったのだ。
 作戦の第二は、誘客プロモーションを早めに開始することであった。「龍馬伝」の放映開始は10年初。そこに合わせて旅行商品を造成して貰うためには、前年の春から初夏には「土佐龍馬であい博」の売込みを始めておく必要がある。
 過去、セールス開始時期が直前となり、機を逸した苦い経験があった。業界の慣習を学んで、セールス時期を相当前倒ししたのだ。
 私も何度がトップセールスしたが、なんと言っても職員が、業界の皆さんと共に、キャンペーン用の着ぐるみを携え暑い中大奮闘してくれた。

《ふるさと博》

 作戦の第三は、反動減対策のために、翌年も幕末観光キャンペーンを実施することであった。2年連続展開することで、高知の歴史観光への全国的な認知度もワンステップ上がるのでは、との狙いもあった。
 2年目の「龍馬ふるさと博」の準備は、ゴールデンウィーク明けからスタートした。「であい博」もまだ半ばという時期だったのだから、職員にとっては過酷な展開だったろう。私も、関係職員を集めて、反動減対策の必要性と、認知度アップに成功した場合の効果、を必死で説いた。当初は複雑な表情の職員もいたが、結局、大多数の職員が、その意義に鑑み、歯を食いしばって頑張ってくれた。
 10年1月16日、高知駅前のメインパビリオン開館の日。館の前には数百名の長い長い行列ができ順調な滑り出しだった。そして、翌日から、毎日、毎日、4つのパビリオンの入り込み客数を把握して、勢いが衰えたとみるや、パビリオンの模様替やPR強化といった対策を打っていったのだ。
 有難いことに10年の観光入り込み客数は、史上最高の435万人。前年度比4割増と上々の結果だった。心配された翌年も385万人。大河の前の310万人台を大幅に上回る水準で着地でき、いわゆる反動減を防ぐことができた。
 2010年は勝負の年であった。「まるごと高知」の開店と「龍馬伝」対策。 今でも「龍馬伝」のテーマ曲を聞くと、勝負の年を思い出してじわっとくることがある。厳しい時にチャンスをもらい救われた思いがしたこと、チャンスを生かそうと必死の思いで頑張ったことが、まざまざと蘇ってくるのだ。
 職員もレストランを立ち上げたり、旅行会社にセールスに行ったりと、慣れぬ仕事に必死で取り組んでくれた。テーマ曲とともに、当時の担当職員の悲喜交々な顔が思い出される。
 勝負の年の勝負にそれなりに勝てたことが、後々の県勢浮揚への歩みに勢いをつけてくれたのである。 

第九回「産振計画⑥ 〜時代の流れを捉える〜」へ続く)