高知県知事時代

  • 産業振興計画と中山間対策①
  • 番外編

都会には無い強み

 産業振興計画のもう一つの特徴は、中山間重視ということだ。在任中、期を重ねる毎に中山間対策を強化したのだが、その変遷についてここで補足したい。
 繰り返すが、中山間こそ高知の強みの源泉である。高知の中長期的な発展を期するためにも、是非ともその振興は必要だ。
 田舎の高知にとって、自然由来の1次産業や観光業は都会にはない強力な強みだ。更に言えば、それは国際的な強みにも十分になり得る。
 台湾からの観光客の中には、仁淀川の屋形船に乗って、その清流の美しさに感激のあまり涙を流す人もいるそうだ。高知の食の美味しさは、アジアの旅行エージェントに自信をもって提示できる高知の武器だった。
 高知の農業生産の約8割は中山間由来だ。中山間を蔑ろにすれば高知の農業は成り立たない。因みに、日本全体でも約4割が中山間由来である。食糧安全保障上の観点からも、中山間を蔑ろにすべきでないのは高知だけの話ではない。
 こうした考え方の下、産業振興計画の策定に当たっては、中山間も含めた地域地域の産業の振興を目指す、との路線を基本とすることした。
 まずは、他県に比して品質や生産性などに比較優位のある一次産業重視路線そのものが、その多くが存在する中山間を重視することに繋がった。
 加えて、地域地域に経済効果をもたらすために、よりきめ細かく地域の地場産業を生かそうと考えた。このため、多くの方々のご尽力によって、産業振興計画の立ち上げと同時に、200を超える中山間由来の事業が地域アクションプランとして立ち上がることとなったのだ。

《より深い理解へ》

 ただ、中山間への理解が深まるにつれ、こうした一次産業重視と地域アクションプランの二層構造だけでは不十分だと考えるようになった。
 高知市育ち、仕事は東京という経歴からも、私は正直、中山間地域に不案内な点が多々あった。やはり、この点が目についたのだろう。2011年4月の県議会議員選挙の後、ある県議さんから「本物の」中山間訪問を促されたのだ。
 この県議さん曰く、「知事が『対話と実行座談会』などで訪れる役場近くは、その町村ではもっとも都会。地域アクションプランも多くはこの都会で展開されている。でも、本当の中山間地域はそこから車で1時間以上先にある。是非、自ら訪れるべき」とのアドバイスをくださった。
 高知市から2時間近くの町役場から更に1時間以上。鬱蒼とした森を縫う1車線ギリギリの道を延々と行き、いったいどんなところへ、と思いきや、視界が急に開け、のどかな集落が忽然と姿を表した。その先の公民館では、県知事が当地に来たのは史上初だ、と地域住民の皆さんに大変歓迎していただいた。
 だが、驚いたのはこれからだ。何と、半分ほどの住民のお家は、更にそこから車で30分以上先にあるのだという。久々に公民館まで降りてきたというのだ。
 驚きを胸に帰路につき、1車線ギリギリの道を再び抜けて、役場付近に向かう三桁国道に出た時、私はもう一度驚いた。大袈裟ではなく、2車線の三桁国道が高速道路のように見えたのである。そして、役場付近は本当に「都会」に見えた。

《どうするつもりか?》

 正直、県議さんの言う通りだと思った。知事4年目に至っても、まだ私は中山間を分かっていなかったのだ。
 その後、こうした経験を複数回積む中で、幾度か受けた質問がある。「このままでは誰もいなくなり、うちの集落は消滅してしまう。県はいったいどうするつもりか」との質問だ。「地域アクションプランをやれと言われても、担い手も組織もない。あと10年早く言ってくれてれば」との指摘もしばしば受けた。
 残念ながら、一次産業重視路線と地域アクションプランの二層構造だけでは、中山間への経済効果の浸透度は不十分だったのだ。そして、新たに事業を起こそうにも人がいないという問題にも応えを出す必要があった。
 中山間対策は明らかに強化する必要があった。このため、二期目の選挙に望むにあたって、公約として、「絆のネットワークの構築」をキャッチフレーズに、中山間対策の抜本強化を掲げることとしたのだ。

(番外編「産業振興計画と中山間対策②」へ続く)