- 産振計画① ~職員の認識変える~
- 番外編
官の関わり方
庁内の協議で、各界の重鎮の皆さんから産業振興計画策定委員会の委員就任の了解を得たと聞いた時、私は心底ホットした。官民協働の取り組みのスタート地点に立てた、と思ったのだ。
だが、思いがけないことに、その人選を発表した際、一部から、「地味だ」とか「これでは何も変わらない」とか、かなり批判的なコメントを頂いた。県外では、改革派の知識人主導の派手なプランがもてはやされた時代でもあった。各分野のこれまでの代表ばかりでは、何も変わらないではないか、というのである。
確かに、もともとの経済全体に相当の地力があるのであれば、活性化策として、派手な「新しい何か」を付け加えるというのは一つの戦略だろう。
しかし、農林水産、商工、観光と、各分野がそれぞれ根本から課題を抱えているという状況では、それでは足りない。現状を一から見つめ直して、まずは傷を癒し、その上で、先を見据えた活性化策を講じなくてはならない。言うまでもなく、その主役は各分野のプレーヤー自身だ。地味なのかも知れないが、各界のプレーヤーの皆様に計画策定段階から参加していただくことが最適だと当時は考えたのだ。
このように、産業振興計画については、その策定のスタート段階から様々な議論を呼んだ。「大変だな」と正直思ったが、関心度の高さは、危機感の裏返しでもあった。
《メリハリをつけて》
計画の策定にあたって、県経済への官としての関わり方をどうするか、という点も根本的な議論を呼んだ。当時は、財政再建路線が長く続いた後だった。このため、官の関与そのものについて逡巡する向きも多かったのだ。
当然だが、財政や職員数の制約がある。お金は無いが、無策批判は避けたいと考え、それぞれの分野に満遍なく少しずつ施策を投じるといった、ありがちな誤りは避けねばならない。これでは、全てにおいて施策が過小となり、投入された予算は全て無駄になる。私は、これを「大海に目薬一滴」と称して強く戒めた。
だが、メリハリをつけて対応するにしても、どうすべきか、が問題だった。
やや理屈っぽい話となるが、考えるべき軸は二つある。広く関わるか狭く関わるか。また、直接的に関わるか間接的に関わるかである。
広く直接的に官主導で産業振興を図るやり方は、大規模な財政出動を要する。共産国家の計画経済に見られたように、非効率に陥る危険もあるだろう。
より間接的なやり方として、税制や規制政策などによって、一定の方向へのインセンティブ付けを試みたり、特区によって新産業の育成を図るといったやり方は、民間経済に一定の勢いがあれば有効だろう。狭いか広いかは、時々の選択による。
民間経済に勢いがなければ、より直接的な支援策が必要だが、自治体レベルでは体力に限界があるため、ツボをついた対策が求められる。これが直接的、かつ、狭く関わるやり方であり、結論から言えば、本県が採った方式である。
《自ら考えてこそ》
因みに、単純な以上の考察からも、地方分権の必要性が良くわかる。
直接か間接か、広いか狭いか、どの領域を選ぶかは、それぞれの地方の置かれた状況によって異なる。更に、ツボが何か、は地域によって様々だろう。
後年の話となるが、2014年、国は「地方創生」策の一環として、「まちひと仕事総合戦略」の策定にとりかかった。その際、霞ヶ関時代の親しい先輩がその担当となったこともあり、高知県にも色々と参考意見を求められた。
私や担当部長が上京して、産業振興計画の構造を詳しく説明し、色々とアドバイスも行ったが、その中で特に強調したのは、「地方が自由に施策を考え、国がそれを後押しする」という方向が重要だということである。
従来は、国がプランを考え、それをやりたいと手を挙げた地方を補助金などで支援するという施策が多かった。だが、この総合戦略では、地方が自らプランを考え、国が審査の上で支援するというやり方をある程度取り入れている。
国が審査、というのは「上から目線だ」との批判も地方から出た。だが、地方ごとに事情が異なるのに、国が一律にプランを考えても「帯に短し襷に長し」となりかねない。地方が自ら、自らの行く道を考え出さねばならないのだ。
高知も自らの道を必死で模索した。どのような方向性で、どこにツボを求めるか。各分野のプレーヤーの方々とともに、試行錯誤を重ねた。
そして見つけた答えが「地産外商」なのである。