高知県知事時代

  • 第十二回
  • 防災対策②
  • 2020年3月31日掲載

試行錯誤で道開ける

 南海トラフ地震対策は広範多岐にわたる。津波対策に加え、揺れ対策や火災対策も必要だ。さらに、被災後の救助や災害医療、物資搬送などにもあらかじめ備える必要がある。
 対策を抜本強化し始めた頃は、それこそ朝から晩まで会議を開いていた。やるべきことのあまりの多さに目まいがする思いがしたものだ。
 だが、職員も危機感を持って献身的に頑張ってくれた。まず各部局に考えられる強化策を挙げてもらい、①発災直後の命を守る対策②応急期の命をつなぐ対策③生活を立ち上げる対策(復旧、復興対策)ーの三つの柱に沿って整理した。
 その上で、産業振興計画同様、PDCAサイクルを徹底し、毎年度対策を強化していった。施策数も強化前の111から、直近では282に至っている。


「津波避難空間の整備」
《全庁挙げて》

 南海トラフ地震対策に関して、県庁内で徹底した原則が三つある。
 第一は、広範な課題に対応するため、産業、医療福祉担当を含め、全ての課室が対策を講ずべし、という点だ。南海トラフ地震対策課は、とりまとめ役にすぎない旨を徹底した。
 第二は、当然のことだが、官民協働、市町村政との連携協調。
 そして第三は、たとえ今は答えを見いだせなくとも、最悪に備えよ、という点である。
 34㍍もの津波を起こす地震は、俗に千年に一度の最悪のケースとされる。そのための対策は困難を極め、ひるみがちにもなる。実際、対策不能な地震など想定しなくてよい、と言い放った他県の首長もいた。
 果たして、それほどの津波に対して避難場所など整備できるのか等々、当初は答えを見いだせない場合も多かったが、勇気を持って踏み出した。
 行政は、答えのない課題を嫌う。うかつに取り組んで失敗を責められるよりは、何もしない方がマシだ、となりがちだ。ただ、超大規模災害対策ではそもそも答えなどない場合の方が多い。だからこそ、まずは課題に取り組もう、と徹底する必要があったのだ。
 そうして整備した避難路、避難場所は1445箇所、避難タワーは111基。不可能と思われた避難場所確保も一定進んだ。
 当初答えはなくとも、試行錯誤を経て、県民のご協力もいただきながら、だんだんと道が開けてきたのである。

《国を動かす》

 地震対策には膨大な財源が必要だ。このため、国を動かすことが絶対不可欠であった。
 当時、当然のことながら、東日本大震災からの復旧が最優先とされていた。高知県も職員を派遣するなど力を注いだが、併せて「西日本の大地震にもあらかじめ備えを!」と徹底して訴えた。
 ありがたい契機が2度あった。
 第一は、政府の関係委員会の委員に就任したことである。国の南海トラフ地震対策大綱の方針作りなどに関われたことは大きかった。
 第二は、政界における国土強靭化の動きである。この強力な運動を生かそうと、西日本9県で知事会議を立ち上げ、協働して、政党幹部をはじめ多くの国会議員に、財源措置の充実と南海トラフ地震対策特別措置法の制定を徹底して働きかけた。古巣の財務省とも、時にけんか腰の議論をしたほどだ。
 2013年11月、議員立法で同法が成立した。「科学的に想定し得る最大規模のものを想定」した法律だ。ご尽力いただいた先生方に心から感謝申し上げたい。
 おかげで国も「最悪に備える」姿勢を強化していった。本県にとっても、誠に心強い動きであった。