高知県知事時代

  • 第十三回
  • 防災対策③
  • 2020年4月1日掲載

将来の危機も想定する

 ある文化イベントで話したベテランパイロットいわく、自動操縦中も決して暇ではないという。「今、こうしたトラブルが起きたらこういう手順で、ここならこの空港に着陸しよう」といつも考え続けているとのことだった。
 私は知事の仕事と同じだと思った。
 知事の仕事の最たるものは危機管理。それには狭義と広義の二つがある。
 狭義の危機管理は、文字通り災害など今発生している危機に備えるものだが、広義のそれは、今はなくとも将来発生しうる危機を想定し、先回りして対応するものだ。
 見えずとも起こりうる危機に備えるという困難な仕事に、私も四苦八苦し続けたのである。


「豪雨災害の爪痕を視察」
《手放せぬスマホ》

 狭義の危機管理事案は、それこそ24時間365日。在任中は常にその対応に追われた。大型の鳥が川で死んでいます、と連絡があれば、鳥インフルエンザを疑って警戒。夜半から県東部で大雨警報発令見込みとの急な連絡を受け、懇親会出席を取りやめ自宅で待機。
 夜中も含め度々連絡がくるため、スマホを手放すことはできなかった。
 退任後、散髪中にテレビで初めて県内での竜巻発生を知った。
 知事なら発生後速やかにスマホが鳴る。知事でなくなったことを改めて実感したものだ。
 広義の危機管理はさらに難しい。危機の芽をあらかじめ見いだすところから始めねばならない。南海トラフ地震対策などの事前防災が典型だが、何が起き得るか想像を重ねて対策を練ることになる。仮にこれが起きれば、その影響は、などと考えていくと、悲観的な状況が次々想像されてくる。精神的にもきついが、必要な備えだ。
 最近、よく顔が柔らかくなったと言われる。いろいろな重圧から開放されたからだろうが、その最たるものがこの危機管理業務だと思う。

《豪雨の緊張感》

 近年、異常気象が常であるかのような豪雨災害が全国的に続いている。その対策こそ、狭義と広義の両面から危機管理が求められる典型だった。
 台風のたびに気象レーダー、雨量計、河川の水位計をにらみ続けた。防災服のまま県庁で泊まったことも何度もある。危機管理にたけた職員に救われてきたが、時に危機的なこともあった。
 2014年8月3日昼、土木部長が「鏡ダムが大変です」と飛び込んできた。当時、線状降水帯が高知市上空にかかり続け、記録的な大雨が降っていた。
 マニュアルによれば、雨の流入量までダムの放水量を増やす「異常降水時防災操作」を直ちに行う必要があるが、下流で破堤する恐れもあり覚悟を、との話だった。
 しかもその時は満潮の最中。30分でも遅らせれば水はけもよくなりより安全だろう、とマニュアル外の対応を取った。破堤は免れたが、並の緊張感ではなかった。
 18年夏には、県東部、県西部ともに甚大な被害が発生。長岡群大豊町で高速道路の片側が吹っ飛ぶという驚くべき事態も起きた。
 後に、これらの被災現場を訪れ、お見舞いをして回りながら、豪雨災害では、山腹の崩壊や河床の上昇といった形でダメージが蓄積していくことを痛感した。広義の危機管理の観点からは、次の災害に備えてこれらを迅速に除去する必要がある。
 このため、豪雨災害対策本部を通年設置し、年間通じて河床掘削などの対策を採ることとした。国の関連制度創設も提言し、一定実現もした。
 この間、職員とは一連托生。その献身的な働きぶりに心から感謝したい。
 だが、対策はいまだに道半ば。地震対策と並んで、豪雨災害に備えて強化すべきことは数多く残っている。