- 第十六回
- 教育改革①
- 2020年4月4日掲載
夢に向かい歩む力を
2007年秋に公表された全国学力テストの結果は衝撃的だった。小学生は国語33位、算数43位、中学生は国語、数学とも46位。特に中学生は全国平均から大きく引き離されていた。
「長年の教育改革にもかからずなぜ…」と県民の関心も高く、知事選でも争点となった。
知事就任後、私は、それまでの教育行政について学ぶ機会を県教委に設けてもらった。後から聞けば、年度をまたいだ勉強会は計20時間を超えたそうだ。
勉強会の結果、私は、それまでの取組は「子供を大切に」という理念の普及について優れた成果を上げたが、理念を実現する具体策は改善の途上にある、との自分なりの結論に至った。
例えば、単元テストや宿題なども十分行っていない学校もある、と聞いた。これでは子どもの学力の定着状況を把握できず、補習などの対応も的確に取れない。
教室レベルでの具体策の強化こそ必要ー。 この思いで、強力な実行力に定評のあった中沢卓史総務部長に教育長就任を依頼した。
「厳しい高知の学力」
《知徳体すべて》
当初、学力向上の必要性を説く私に対し、一部の教育関係者からはかなりの反発があった。
「テストの結果と学力は関係ない」「勉強はダメでも元気なら良い」などさまざまなご指摘を受けた。
しかし、1年後の全国体力テストは、小中男女ともに最下位クラス。また、不登校、暴力出現率ともにワースト2位。残念ながら、すべてにおいて課題が大きいことは明々白々だった。
子供が将来夢を抱いた時に、その夢に向かって力強く歩んでいける力を付けさせてあげることは大人の大切な役割だ。そして、言うまでもなく基礎学力も体力も道徳もすべて、そのための重要な要素である。
私は「子どもたちのために、知徳体が軒並み最下位クラスという状況から脱しなければ」と強く思い、その旨を各所で説いて回った。
その際、現状打破のため、反発覚悟で「このままでは高知の子どもがかわいそうだ」とも述べた。ある時は、校長先生の集まりで、また、ある時は教職員組合の新年会で。
私を見る目が矢のようになった先生も確かにいた。ただ、深くうなずいてくれる先生もいたことに一定の手応えを感じたものだ。
《自戒の念》
私にとって、高校時代は悩み多き時代だった。友人には恵まれたが、勉強の好き嫌いが激しかった。数学や現代文は好きだったが、英語などのコツコツ暗記物には辟易とした。
当時は、大きな人間になりたくて、私なりにどうあるべきか悩んでいた。「竜馬がゆく」をメモを取りながら読んだりもした。あらゆることに通じる考え方そのものを学びたい、とも思っていた。
半面、地道な努力を「チマチマと…」と軽んじ、「アヒルが池で泳いでいます」を英訳するなどばかばかしいと本気で思っていたのだ。
未熟故に、コツコツの先に広がる素晴らしい世界を理解できていなかった。そして、当然のように後に深く後悔し、20代半ばにもなって必死で勉強する羽目に陥ったのである。
大人はその先に何があるのか、子供よりは知っている。勉強の先に何があるかを教え、その先を目指す力を付けさせてあげることは、教育の重要な役割だ。
学力向上対策は、テストの点数向上対策などではない。子供たちの人生を切り開き、より豊かなものとするためのものだ。
学力向上対策に私は自戒の念を込めた。