高知県知事時代

  • 第十九回
  • 意思決定
  • 2020年4月8日掲載

悪い話ほど知事に

 私はよくトップダウンだと言われた。しかし、知事部局だけでも167もの課室、出先があり、当然、知事が全てに指示を出せるものではない。
 逆に言えば、だからこそ、知事が意思決定過程のどこに関わるかが県政上のポイントとなる。
 2008年1月28日、初の県予算知事査定に臨んだ。尾崎県政の予算編成スタートだ、とカメラも居並び、華やかに報道もされたが、内心はやや違和感を抱いていた。
 実は、知事査定が行われるのは財政課長、総務部長査定を経た最終盤だ。
 予算書上の最小単位の「細目」はおおむね千近く。それだけの政策群があるのだが、知事査定の対象は時間の制約もあり、せいぜい20程度。大多数は事務方の間で決まり、もめにもめた案件が、最後に「知事のご判断を」とされるのである。
 もめ事の「裁き」も大事だ。しかし、それだけでは民意を踏まえた県政のかじ取りとは言えない。そう思った私は、翌年度から、予算編成の本当のスタート時点である、11月の各部局の予算要求の段階から関わることとした。要求の全体像を把握して、方向性を指示するとともに、必要なものは追加するよう促しもした。
 さらに、産業振興計画などでは、PDCAサイクルによる改定作業の初期から携わった。「デジタル化の流れを生かそう」といった方向性を示し、詳細は事務方の検討に委ねた。
 中でも、特に重要なものは、まさにトップダウンよろしく、私自身が細部まで相当にこだわって吟味を重ねたのだ。


「岩城副知事と」
《積年の懸案》

 とはいえ、日々の大半の事柄は知事室の前に意思決定されたろう。そうあるべきでもある。ただ、これだけは知事室で決めなければならない、というものがある。いわゆる「悪い話」だ。
 不祥事、ミス、計画の想定が狂ったー。そうした「悪い話」ほど副知事か知事に速やかに報告を、と職員に口酸っぱく訓示した。
 良い話はゆっくりでいい。だが悪い話は、初動が大事だ。撤退すべき案件などは、責任の取れる知事に早く判断させねばならない。
 しかし、担当者は失敗と見なされがちな「悪い話」を上げたがらないものだ。故に、上げた後は知事の責任、だから早く、と何度も何度もお願いした。
 在任中には積年の懸案にも直面した。高知競馬の再建問題、医療センターのPFI解消交渉、建設談合問題、とさでん交通問題、ルネサス撤退事案などである。
 こうした「懸案」では、あちらを立てればこちらが立たず、という場合が多く、それぞれの判断の根拠についての説明責任が特に求められる。タフな交渉も多く、本県出身で在京の市川直介弁護士にもお願いして、全国区の陣立を整えて臨みもした。そして、ここでも、悪い情報をいかに早く正確に得られるかが肝であった。

《良き相談相手》

 実のところ、「悪い話」の報告が徹底されるにつれ、知事室は大変になっていった。
 良い話の協議は「良かった、良かった。お疲れさま」とすぐ終わるが、悪い話は時間を要する。「またもめました」「想定外です」など、朝から晩まで「悪い話」で知事室は占拠されることとなった。うれしい悲鳴と言うべきことだが。
 そんな中、副知事の岩城孝章さんの役割は重要だった。多くの場合、部局長にとって悪い話の最初の相談相手は、こわもての私ではなく、岩城さんだったはずだ。
 私にとっても8年間、良き相談相手でいてくださった。岩城さんあっての県政だったと、心から感謝している。