高知県知事時代

  • 第二十回
  • 政策提言
  • 2020年4月9日掲載

国を動かす工夫

 財政力の弱い本県にとって、さまざまな政策の実現のために、国の後押しを得ることは不可欠だ。
 そこでまず重要なのは、本県選出の国会議員と県政、市町村政がタッグを組むことだ。足並みが乱れれば老練な霞ヶ関を突破できない。12年間、本県の国会議員の皆さまには本当にお力を賜った。心から感謝申し上げたい。


「全国知事会・社会保障常任委員長として」
《陳情ではなく》

 その上で打率をさらに上げるための工夫も3点ほどあった。
 第一は、「陳情」ではなく「政策提言」を行うことだ。
 財務省勤務時代の経験から「どこをどのように」というツボはある程度分かっているつもりだった。
 「高知のためにこれをよろしく」という陳情型では人口の少ない本県は不利だ。「もっと関係人口の多い案件が」と後回しにされかねない。そうではなく、「全国の田舎に共通の課題。ぜひこの政策を」と提言すれば、社会的意義も大きいとして採択されやすい。当然、それは本県の後押しにもなる。
 さらに、この提言は、陳情団が霞ヶ関にあふれる年末ではなく、5月前後に行うと効果的だ。
 この頃各省庁は、夏の財務省への概算要求に向けて、来年度の政策の「玉」をあれこれ検討している。この段階で、相手が本県の政策提言を良い知恵だと思ってくれればしめたものだ。秋以降の予算編成期に財務省という関門はあるが、少なくともその省庁は味方となる。
 第二の工夫は、分厚く素早い情報収集態勢をつくることである。
 霞ヶ関や永田町での好ましい流れは大いに生かし、逆の場合は対策を練る。この勝負の肝は生きた情報である。
 私は最初の知事選で「東京事務所の抜本強化」を公約に掲げた。就任後は、これに従って職員を増員、省庁ごとの担当を定め、ネットワークづくりと情報収集を主な職務とした。
 職員は狙い通り随分頑張ってくれた。例えば、国土交通省の担当者たちの働きはこうだ。
 「とんび会」という同省出入りの各県職員の会があるが、本県職員は人望を得て歴代その最高幹部を務めている。そのおかげで、局長クラスから担当クラスまで即座にアポを取れるほどの関係が築かれていた。
 「どうやら、昨日の会議であの提言が議論されたらしい。ただ感触は△」との情報をつかんだ彼らの先導で、私も関係局長、課長を説得して回ったものだ。重要案件が主計局ともめていると聞かされ、即座に主計局長室に飛び込んだこともある。
 他省庁の担当職員も多くは同様だった。守衛さんと顔パスの関係を持つ職員も多かった。それだけ足を運んだということだ。慣れぬ東京での職員の活躍は見事だったのだ。

《増えた出張》

 工夫の第三は、関係自治体と協働して交渉力を増すことである。
 課題が大きければ大きいほど、高知のみの交渉では限界がある。このため、積極的に関係の知事らとの連携を図った。例えば、南海トラフ地震対策強化に向けて「9県知事会議」を、また木材需要拡大を目指してCLT首長連合を立ち上げた。
 また、全国知事会での社会保障関係の役職に加えて、教育再生実行会議や中央防災会議の分科会、ナショナルレジリエンス懇談会などの委員に就任。さらに全国高速道路建設協議会の会長も務め、国家的な課題に地方の声を反映する良きチャンスを得た。
 私の東京出張の回数は年々増え、月2、3度も普通となった。中央での役職が増えたこともあるが、県政運営上、国から地方への関心を引き出し、国を動かす必要性が増え続けたことが一番の原因であった。