高知県知事時代

  • 第八回
  • 産振計画⑤
  • 2020年3月26日掲載

2つの良き成功例


「まるごと高知 大盛況に笑みがこぼれる」

 知事在任中、産業振興計画は毎年度改定がなされ、第1期第1版から第3期第4版まで計10版を重ねた。
 この間、県民のご協力と職員の努力により、物語はより大きなものへと育っていった。第1版では22ページにすぎなかったパンフレットも、令和元年版は90ページと、その厚みを増している。

《開店と協定》

 ある企てを本格的に展開させるためには、小さくとも早い段階での成功例が不可欠だ。産振計画の場合は、スタート当初、二つの良き成功例があった。
 第一は東京のアンテナショップ「まるごと高知」の開設であり、もう一つは地元の金融機関のご協力だ。
 まるごと高知は、店舗やレストランでの県産品販売に加えて、事業者の外商支援機能を持つ関東の地産外商の拠点だ。その開設は、当時としては久々の大型投資であり、リスクも大きいと県民の関心を集めた。
 私も上京した際、時間があれば秘書官と共に適地を求めて街を歩き回ったものだ。県議さんたちも心配して候補物件を見て回ってくださったそうだ。
 ありがたいことに店舗運営、PRに長けた浜田知佐さんはじめ在京の高知出身者のご協力も得られた。県民からも、レイアウトからレストランのメニューまで数々の助言を賜った。
 2010年8月21日のオープン当日。暑い朝だったが、果たしてうまくいくか、と緊張で生唾と震えが止まらなかったことを覚えている。
 だが、現実は想像を超えていた。開店セレモニーのころには、銀座の街に1時間待ち以上の長い長い行列ができていたのだ。「暑いのにお待たせしてすみません」と謝って回りながらも、盛況ぶりに小躍りしたい気分だった。これで地産外商もうまくいく、高知の前が開ける、とまぶたが熱くもなった。
 県地産外商公社の川上泰理事長をはじめ、職員、スタッフが献身的に頑張ってくれた。そして、県庁内で産振計画への自信が芽生え始める良ききっかけともなったはずだ。
 第二のターニングポイントは、この少し前、10年3月に訪れた。四国銀行が産振計画の推進に関して県と協定を結んでくださったのだ。
 私は実行初年度の09年度から10年度にかけて、県内各地で自ら県民に計画の説明を行って回った。当初は聴衆から半信半疑な反応が多かったが、協定締結以降は、その旨をPRすると「へえー、あの四国銀行が」と、面白いほど会場の反応が前向きになった。
産振計画が経済界から、まともに取り合ってもらい始める良き契機となったのだ。

《大きな追い風》

 強力な追い風も吹いた。10年の大河ドラマ「龍馬伝」である。
 「次の大河は龍馬だそうです!」。秘書官が大声で知事室に飛び込んできた時、まさに至誠通天、龍馬さんが助けてくれていると本気で信じた。
 この好機を逃しては県民に申し訳ないとの思いで、観光キャンペーン「土佐龍馬であい博」の準備に必死に取り組んだ。加えて、であい博の開幕6ヵ月後には、翌年の反動減対策として「龍馬ふるさと博」の準備も始めた。
 ダブルヘッダーは大変だ。しかし、観光業界の方々の助けも得て、職員も歯を食いしばって頑張ってくれた。
 おかげで大河の年の観光入り込み客数は、当時史上最高の430万人、翌年も375万人と、かつての310万人前後と比べ高水準を維持できた。後の400万人観光定着の礎ができたのである。
 本当に苦しい時に力強い後押しを得た。高知は誠に幸運であった。