- 第二十一回
- 任期満了
- 2020年4月10日掲載
心からの感謝を
よく誤解されるが、私は大変な照れ屋だ。人前での演説は大丈夫だが、カラオケはしらふなら体が固まる。
まして、踊りなどもってのほか。知事として追手筋で何度かよさこいを踊ったが、ついぞ桟敷席と目を合わせることができなかった。
「就任記者会見 あれから12年」
《いざというときに》
しかし、県勢浮揚のためには歌舞音曲を伴うPRも大いに必要だ。不得意な私を多くの方が助けてくださった。
故大橋巨泉さんもその一人だ。「昔『ローマの休日』、今や『リョーマの休日』ってやればいい」と値千金の知恵を授けてくださった。
「高知家」のアイディアを初めて聞いた時も、これだ!と思った。「飲んだら一発友達」的な温かい県民性を見事に言い当てていると感心したものだ。
ちなみに、両方とも、自分が出たPRポスターや動画をしばらくまともに見られなかったのだが。
うれしかったのは、多くの県民の皆さまの参加を得られたことだ。「リョーマの休日」ののぼり旗も数多く使われた。高知家のバッジも累計で35万個出回っている。一人一人の高知愛が積み重なった力は、誠に大きかった。
12年間、つらいことも多かったが、いざというときには、本当に多くの県民の皆さんが一緒に歩んでくださった。「まるごと高知」しかり、津波防災しかり。賜ったご協力のありがたさは、本当に計り知れない。
こうした私にとって、4選不出馬という決断に至るまで、悩みは本当に深かった。
この12年間はまさに高知一筋。県政への愛着は簡単には断ち難く、今も、頭にはたくさんのプランがある。
他方で、さまざまな事情もあり、多くの方に国政挑戦をと促されもした。政策提言を通じて、国政と関わりが増えるにつれ、もっと地方重視の流れを、との危機感も増していた。
散々迷ったが、やはり「辞めよう」と思った。
知事の権限の強大さは、自分でもよく分かっている。最初の県議会で「3期12年まで」と答弁した通り、やはり長すぎてはいけない、と思った。
いばらの道だが、信念に基づいて、今、新しい挑戦を始めたところだ。
《「高知家」の力!》
この回顧録もいよいよ終わりとなる。今頭に浮かぶのは、数々の感謝の念だ。
県庁職員の皆さんには12年間誠にお世話になった。「疲弊した職員像」が報道の定番だったが、私の知る職員たちは、そんなにやわではない。
職員アンケートによるストレス度調査では、全国平均を100とした場合、県庁は2018年は77、19年は76にとどまる。200超と予測した記者もいたのだが。超多忙の中、大多数の職員が「県民のために」と、自らの職務に意義を感じて働いてくれた証拠だ。改めて心から感謝申し上げたい。
県議会の皆さまにも心から御礼申し上げたい。議会での徹底した政策論議は、知事仲間からもうらやましがられた。すべての政策は、県議会で鍛えられたおかげで出来上がったものだ。
市町村長、職員の皆さまにも心から御礼申し上げたい。相互の連携あればこそ、県政は前に進んだ。
家族にも感謝している。24時間どこか緊張していた私にとって、温厚な妻は救いだった。両親にも迷惑をかけた。老後をのんびり過ごす予定だったのに、選挙に出ると突然言い出した親不孝者を、脇目もふらず必死に応援してくれた。親はありがたいものだ。
そして、改めて県民の皆さま。12年間本当にありがとうございました。必死に頑張りましたが、果たして、どれだけお役に立てたことか。
このコロナ禍を、みんなで力を合わせて乗り越えていきましょう。今こそ「高知家」の底力を!
=おわり