高知県知事時代

  • 第五回
  • 産振計画②
  • 2020年3月22日掲載

地産外商へ大転換

 産業振興計画の策定過程では、従来の「企業誘致」重視から「地産外商」重視へと、基本戦略を大転換した。
 この地産外商戦略は、二つの要素からなる。第一は「地産」の強化、すなわち地場産業の育成だ。
 大多数の県が取り組む企業誘致だが、これには向き、不向きがある。大都市近郊であれば私も企業誘致中心でいく。しかし、高知は交通の便、災害リスクなどから、コンテンツ系などの例外を除き、必ずしも向いているとは言えない。もちろん企業誘致を諦めはしないが、それ以外の柱が必要だった。
 また「地場産業の振興にもっと力を」との声は県民との対話でも多く聞かれた。このため、産振計画では、無い物ねだりをせず、持てる強みを生かすことを基本とした。
 具体的には、生産性日本一の園芸農業などの1次産業に加え、食品加工、観光、もの作りなどの関連産業を重点的に支援し、強みを生かしつつ波及効果を広くもたらすことを目指した。
 第二は「外商」の強化である。
 全国に先駆けて人口減少が進んだ本県は2000年ごろから人口減に伴い経済も縮む状況に陥った。同年から08年にかけて経済は1割以上縮んだし、人が減り仕事も減る結果として、全国の有効求人倍率が1.0を超えても、高知は0.5前後で低迷し続けた。
 縮小傾向にある県内に閉じこもっていてはジリ貧である。ゆえに、外に打って出て外貨を稼ぐ「外商」推進を基本に据えた。
 因みに「地産外商」という言葉は、就任早々、西土佐で鹿のジャーキーの売り込みにトライしていた「山間屋」の中脇裕美さんから伺ったものだ。後に県民運動にするために分かりやすい言葉を模索する中、その言葉を思い出し、使わせていただいた。


「第1回産業振興計画検討委員会に臨む」
《「できるのか?」》

 地産外商を進めるための課題は事業者によって異なる。その多くに対応できてこそ、県全域に地産外商は広まるとの思いで、支援策の検討を重ねた。
 ターゲットを絞り、製品を磨き上げ、販路を開拓するー。そんなマーケティングの各工程に対応した施策を考え、アドバイザー派遣から営業支援まで、それぞれ取りそろえようとした。中でも、販路開拓支援などを中心的に担う地産外商公社の設立が目玉であった。
 残念ながら、地産外商戦略は当初不評だった。「拠点もない県外では無理」「輸送費が高くもうけは出ない」「東京で勝てる商品は作れない」など県民から数々の批判を受けた。川上の商品作りから、川下の販路開拓まで課題の多さに気持ちがふさいだものだ。
 結果として、そうした数々のご意見に鍛えられた。その全てに向き合う覚悟で支援策を積み重ねていった。
 例えば、トマトの加工場で、食品表示が難点でスーパーに置けないと伺ったことを受けて、すぐさま研修制度を作ったこともあった。
 職員が本当に頑張ってくれた。川上から川下までの各工程における施策を一つ一つ積み重ね、地産外商戦略が具体化されていったのだ。

《基本形》

 川上、川中、川下全てに、との方針は、後々まで産振計画を貫く基本形となった。全体像を捉えず、部分的な対処策をとっても効果は上がらない。川中が詰まっているのに、川上を強化しても害をなすだけだ。全体像を見て、ボトルネックを取り除き、全体のけん引役を育て、好循環を生み出す。全てこの考え方を基本とした。
 ただ、計画作りには、もう一つの壁があった。即ち、中山間地域をどうするか、である。